水葬命令



土方副長が数日前から機嫌が悪いことも、その原因も知っていた。監察という立場上、様々な事が耳に入ってくる。
隊士たちの噂。町人たちの流言。どんなことが何に繋がるか分からない。砂金を探すには泥をさらわなければ。噂も同じだった。最近多い副長に関する噂。女がどうとかいう。
いつもなら噂になんかさせないのに、どうしたのだろう、と思った。


まとめてしまえば、それは副長が女に振られたという噂だった。近頃不穏な動きを見せる天人や攘夷派にばかりかまけていたので愛想をつかされたという。
振られるなんて滅多にない彼が。しかも仕事が忙しすぎて、という点が多くの隊士にとって他人事ではなく、彼らは哀れな副長に多大なる同情を寄せていた。そして誇り高き副長にとって哀れまれているということはなかなか耐え難いことだった。


その日は久々の公休日だった。局長以下平隊士、全員が休日である。
こんな日は滅多になかったが、その滅多にない貴重な休日も土方は仕事をしていた。真面目とは言いがたい性格をしているが仕事は相変わらず山積しているし、縁側でぐうたらする気も、遊里に繰り出して女を抱く気もしなかったのだ。
時計を置いていない執務室で時間の経過を示すのは、いくつかの山になった書類と灰皿に積まれた吸殻のみである。今も紫煙がもうもうと上がってかすみがかった室内をより白くした。
失礼致しますとふすま越しに声が聞こえて、スルリと開いた。
「お茶を持ってまいりました」
入ってきた人間も用事も判りきっていたので書類から目を離さずに生返事をする。すさまじい煙に対する非難は適当に受け流した。たまの休みに上司に厭味を言うなんてどれだけひまなのだ。
「ほどほどになさってくださいよ。お身体に障ります」
灰皿に山盛りになった吸殻を持参したゴミ袋に入れながら彼は言った。
土方はフンと鼻を鳴らす。あてつけるように新たに煙草を出して火をつけた。
「もー」
副長なんか肺ガンで死んでしまえと呆れた声がしたので抗議のために顔をあげる。
「ばかやろー近藤さんのため以外で死ねるか」
きっぱりと言い切ると山崎はなんとも言えないような顔をした。そして「副長は本当に局長がお好きなんですね」と言った。
「当然だろ」
何を今更と眉を吊り上げたあと、自分が言ったことの青臭さに少し恥ずかしくなった。山崎はそんな土方を見て少し笑う。
山崎のくせにこしゃくな、と腹が立って彼の手を引くと、うまい具合に畳の上に転がった。
「いったー。ひどい、なにするんですかー」
土方は意地悪く笑って山崎に馬乗りになる。
「この俺様を笑ったことを反省しやがれ」
「・・・ガキですか」
「・・・・・・どうやらいじめてほしいようだな、覚悟しろ」
覚悟しろと言ってももう拾った頃のような子供ではないのだから、と土方は思案した。こしょぐりは効かないだろう。だいたいそんな子供っぽいことは自分だってしたくない。ここはひとつ大人のいたずらをしてやろう。
土方はためらいもなく山崎に顔を近づけた。
「え、待って、ふくちょ・・・」
抗議の言葉をさえぎって唇をあわせる。ガキと言われたことへの報復も兼ねて濃厚なやつを振舞ってやる。
ようやく放してやると山崎は酸欠やら何やらでぐったりしていた。ガキめ。
ふと、土方は今の自分の体勢に既視感を感じた。既視感も何も、女を相手によくやっていることだった。これははたから見たら押し倒しているわけで。ていうかキスもしちゃったし。
ついでにするか?と軽く思った。よく見れば、男のわりに長い髪は首筋の白さを際立たせている。つかんだ手首はちゃんと鍛錬しているのかと問い質したくなるような細さだった。さっきのキスで頬は上気し、瞳は黒く濡れている。
最近女を抱いてないなと思った。


なぜこんな状況になっているのか、自分をじっと見つめてくる上司について山崎は混乱していた。見上げる顔はいつもと違う近さと角度で、いい男っぷりはむしろ上がっている。
つかまれた手首以外にも彼の体温をものすごく感じた。夢にまで見た状況だった。切れ長の瞳のするどさに、このままどうにかなればいいのにと思った。


山崎の表皮をなぞる掌も山崎の肌も同じような熱を帯びている。いっそこのまま溶けてしまえばいい。そうすれば離れずに済む。ずっと一緒にいられる。
我ながらストーカーみたいできもいなと思って苦笑したら、別のことを考えていたのが不満だったのか土方に「おい」と声をかけられた。
「俺のことだけ考えてろ」
山崎は泣きたくなった。嬉しかった。わざわざ言われなくてもいつも考えている。でもこの人が求めてくれたのが嬉しかった。
白い肌がほてってあわく色づいている。
ふくちょうふくちょうと熱にうかされたように呼ぶので、土方は山崎の頭をなでてやった。
「名前を呼べよ」
役職名では味気ないなと思って言ったら山崎は少しためらってから口にした。
「・・・土方さん」
まちがっても十四郎さんとは呼ばない。これは山崎なりのけじめだった。自分は噂の女の人とは違う。恋人ではない、名前を呼ぶ資格はない。
土方は頓着する様子もなく事を進めていった。半端のない痛みに息が荒くなる。声を上げて涙を流す。それでもけして土方に縋ろうとしない山崎に気づいて、土方は彼の腕を自分の肩にまわさせた。
「土方さん土方さん」
痛みを紛らわすように名を呼ぶ山崎の顔に手をやる。涙をぬぐって、髪をなでる。
山崎はさっきとはちがう涙が出てきそうになった。
こんなに優しい手は知らなかった。いつもの、仕事の出来をほめたりけなしたり、気まぐれに何かをくれるようなそんな優しい手とはまったく別のものだった。
だからと言って彼が『そういう愛情』を抱いてくれているのだと誤解できるほど山崎は楽観的ではなかった。これは誰にも等しく与えられる手だ。セックスの相手ならきっと誰にでも。愛はそこには介在していなくて、むしろ義務のほうが近い。
それでも山崎は嬉しかった。せっかくの休みにわざわざ仕事に付き合うほど好きな相手の、知らなかった一面が見られた。そう思ってしまう自分が女々しくて情けなくて、でもどうしても嬉しくて、ごちゃまぜになった感情の発露として涙がにじむ。
山崎は回した手に力をこめた。こんな時でもないと触れられない相手だ。
「土方さん、」
こんな時でもないとおそれ多くて。
土方が命を捧げられる相手が近藤だと言うのなら、山崎のその相手は当然のように土方だ。
近藤には感謝しているし大好きだ。それは隊のみんなに言える。ただ土方は別格だった。
互いに息が荒くなる。終わりが近づいている。
「土方さん、土方さん、」
呼びおさめとばかりに名を呼ぶ。土方はそんな山崎を見て、苦しげに寄せた眉をゆるめて少し笑った。
その顔を見て、ああもう死んでもいい、と思った。


終わってから、よほど疲れが溜まっていたのか、土方はそのまま熟睡していたので山崎はできる限りの処理をしておいた。なるべく情交の痕跡は残さないようにした。
そのあと、逃げるように副長室を出てシャワー室に向かった。男所帯には似合わないおしゃれな設備だが今は大感謝だ。
あたたかいお湯が降ってくる。立っているのが辛かったので冷たいタイルの床に座り込んだ。
まさかこんなことになるなんて。冷静になってみればなんとも形容しがたい気持ちになる。しかし形容しがたいと言っても大雑把にまとめてしまえば結局は『嬉しい』ということなので、本当に救いようがないなと思う。
でも救いなんてなくていいのだ、と山崎は目を閉じた。
どうしようもできないくらい深いところへ、息もできなくなるくらい、沈みたい。息絶えるそこがただ土方の隣であったならば、それだけで充分だった。