冷たい頬
眠り姫を見つけた。 ジェームズは思わず立ち止まって目を凝らした。 「ジェームズ?」 急に止まり、窓の外を凝視している友を訝しんでシリウスが名前を呼ぶ。 「ああ、何でもない・・・」 言いながら懐中時計を見る。次の授業には間に合うだろう。 「用事思い出した。じゃあな」 我ながら苦しい言い訳だと思う。指摘される前にジェームズは駆け出していた。 「ありゃあ何でもなくないだろ」 遠ざかるジェームズにシリウスがぼやく。興味なさそうに中庭を眺めていたリーマスが呟いた。
「あ、スネイプ」
走りながら、なんて馬鹿なことをしているんだとジェームズが気付いたときにはもう一階の中庭に面した所まで来ていた。ここまで来たら引き返すのも癪なので、さっき見かけた場所に向かう。 昼を少し過ぎたような時間。夏よりずっと低くなった太陽が柔らかに目を刺し、思わず目を眇めた。すっかり葉を落とした木々も色あせた芝生も、確かに冬を示しているのに、今日はやけに暖かな日だった。風もなく太陽だけが微笑んでいる。 (こんな日だからあいつもあんなことができるんだろうなぁ・・・) しかし、校舎から大体の見当をつけて出てきたはずが、眠り姫の姿は一向に見つからない。足を踏み出すたびにカサカサと落ち葉が悲鳴を上げた。 あれは見間違いだったのではないか、そもそもなぜ自分は彼を探しに来たのか・・・ここに来たことを後悔しはじめた頃、ようやく芝生に積まれた本と投げ出された細い脚が見えた。
木のかげの、あの小柄な体の持ち主はきっと彼だ。 近づこうとして、今更ながら躊躇する。傍に行って、いったい何をしようというのだ。 校舎から、木に凭れて眠る彼を見つけた。もっと近くで見ていたいと思った。そこに行かなければと思った。衝動だった。 矢も楯もたまらず、友人になおざりな言い訳をして走り出していた。どうしてそんなことをしたのだろう?憎み合っているはずの彼のもとへどうして。
突っ立っているのも情けなく、引き返すのも逃げるようで気に入らないので彼を起こさないように慎重に近づく。 彼の前にそっと膝をつく。小さなからだは健康的に、心臓の動きに合わせて規則正しく上下し、静脈が透けるほどの白い瞼は無機質に閉じられている。 長いまつげの影が白い頬に落ちていた。たまらなくなって、思わず彼の頬に手を伸ばす。 心臓が騒々しく踊り狂った。呆気なく触れてしまった、その頬の思いがけない冷たさに、まるで火にさわったかのように急いで手を引っ込める。 冷たかった。なめらかだった。男のくせに、そこらの女の子よりずっと。人形のような。 「スネイプ・・・」 ぽろりと零れ落ちた名に反応するように彼の瞼が震えた。やばい、と思って後ずさる。 ジェームズは、自分がひどく悪いことをしているような感覚に囚われた。今めざめようとしている彼はあまりに作り物めいて美しく、目覚めの瞬間を見るのは許されないことのような気がした。 白い瞼は呼吸に合わせてゆっくりと開き、まだ焦点の定まらないようすの瞳は瞼の清廉な白さと裏腹に濁っているように見え、ジェームズを少なからず失望させた。いつかの友人の言葉を思い出す。 『あいつ―――スネイプのあの目!何年も放っといた水がめの水みたいな汚い緑!あいつの性根をあらわしてるよな』 雲ひとつない、晴れ渡った青空のような瞳をした彼は忌々しげにはき捨てた。あれは地下教室でスネイプを見かけたときだった。薄暗いそこでは確かにそう見えたのだった。
しかし、ジェームズは知ってしまった。まばたきの後の彼の瞳を。 まばたきひとつで、その瞳は完全に眠りから覚め、限りなく透き通って見えた。 ついと視線が動いて、少し離れて立っていたジェームズを見つめる。その瞳はジェームズをさらに放心させた。 水がめどころではない。湖のような海のような。どこまでも深くみどりに澄んでいるその瞳は、その底の見通せない深さゆえに濁って見えるのだ。 しかし今は冬日によってその美しさをあますことなくうつしている。ジェームズはまったく動けなかった。スネイプが口を開く。 「・・・ポッター」 あの瞳を見た後では彼の声すらも美しく聞こえた。抑揚のない澄んだテノール。今まで自分はこんなにうつくしいものを見逃してきたのか。 「スネイプ、」 今なら彼と仲良くなれる気がする。淡い期待を抱いて名前を呼ぶと、彼は眉をしかめた。今の今まで無表情であったものを。 「なぜ貴様がそこにいる?僕は見世物ではない」 「スネイプ・・・」 美しい時間は過ぎ去ってしまった。いつもの、敵対的な視線しか寄越さないスネイプ。どうやら彼の思考の目覚めは瞳に比べていささか遅いようだ。 自分ももう目覚めなければ。美しい夢から。 「君が間抜けにもうたたねしていたのでね、どうやって起こして差し上げようか考えていたのさ。スネイプ、君、今何月か知ってるかい。風邪引くぜ」 厭味たっぷりに言ったとたんに風が吹いた。日差しとは正反対に冷たさだけ引き連れている。 「ほらね」 満足気に笑いながら、ジェームズは心にも冷たい風が吹いてくるのを感じた。 スネイプは足元の本を拾って立ち上がった。そしてあの瞳でジェームズをきつく睨み、立ち去ろうとした。 「失礼、ミスタ」 すれ違いざまの言葉はそれこそ湖に張った氷よりも冷たく感じられる。ジェームズは彼の後姿を見えなくなるまで目で追った。 もう一度あの瞳に出会えないだろうか・・・思わず遠い目になりかけた自分を嘲笑う。会ってどうしようというのだ。相手はあのスネイプだぞ? 気付けば空はいつの間にか厚い雲が覆っていた。気温が一気に下がった気がする。制服の上にセーターを着ているとはいえ、さすがに寒い。 今もなお心の中を選挙するスネイプを振り払うように、ジェームズはその場を立ち去った。冬の風が冷たく頬を撫でていった。
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