クリムゾン・ドロップ



その日もスネイプは温室に向かっていた。
薬の材料にどうしても必要な植物がつぼみをつけた、と薬学教授から連絡があったのは6日前のことだ。以来、毎朝その様子を見に温室へ足を運んでいる。
咲いてから太陽の光を浴びると効力の消えうせる特性のために、温室へ行くのは夜明け前である。
厄介なことに、それは花開いてから日を浴びてはいけないが、青いつぼみを手折っても十分に効果を発揮しない。ころあいを見計らって摘み取らねばならないがそれが非常に難しいのだった。実際、タイミングを逃して摘めなかったかつてのつぼみたちが数個、この世の春を謳歌している。あれらこそが6日前に連絡を受けたつぼみであるというのに。
大輪の深紅の花は、たとえ数が少なくともけぶるように匂っている。一般には芳香というのだろう、まとわりつくようなこの甘いかおりがスネイプはどうしても好きになれなかった。しかし、この香りこそが薬において絶大な効果を発揮するのだ。今日こそはなんとしてもつぼみを手に入れようとスネイプは息巻いていた。


温室に着くと、その日はどこか雰囲気が違っていた。
いつもならば、夜明け前の、それこそ草木さえも眠っているような静謐さに心が安らぐのに、今日は何か異質なものの気配がするのだ。
「誰かいるのか」
杖の先に灯をともしてスネイプは誰何した。潜んでいるものをおそれているわけではなく、ただ単に自分だけの空間を侵されているようで不快だった。
不意に誰かが身じろぎし、立ち上がる気配がして――よりにもよってあの植物の傍で!――聞き覚えのある、きわめて不愉快な人間の声がした。
「こんなにまっくらなのに、なんでばれちゃうんだろー」
「・・・ポッター」
スネイプは地を這うような声を出した。
「貴様、何をしている。深夜徘徊は罰則だぞ」
「じゃあ君だってそうじゃない?スリザリンの優等生が罰則!」
灯は夜の闇に比べてあまりに頼りなく、相手の顔は見えないが、声の調子で表情は容易に想像がつく。
「僕はちゃんと許可を頂いている。貴様と一緒にするな!」
声を荒げると暗闇の向こうで肩をすくめる気配がした。苛立ちは募るがこんなやつに構ってはいられない。足音も荒く植物に近づいた。甘い香りがいっそう強くなる。
杖の光でそれを照らすと、良い具合のつぼみが1個ついていた。やわらかにふくらみ、あと数時間もすれば美しくほころび始めるだろう。
安堵の息を吐くと持参した花鋏を懐から取り出した。やっとこれの出番だ。
「ねえ、それどうするのさ。もうすぐ咲きそうなんだから切らないであげてよ」
戯言には耳を貸さない。が、それが存外に近距離で聞こえたことにうろたえ、あやうく鋏を落としそうになった。
「き・・・っさま!僕に近づくな!」
勢いよく後ろを振り返れば、体温を感じるほど近くにジェームズがいた。あまりの近さに寒気がして急いで距離をとる。
「そんなに嫌わないでよ」
憮然とした声で彼が言った。
「自業自得だ!だいたいなんで貴様がここにいるんだ。鍵がかかっていたはずじゃないのか」
そうなのだ。だからスネイプもわざわざ教授から鍵を借りてきているというのに。
ジェームズは、まあ色々と適当ににごして質問には答えなかった。
「ほら、こんなにいい匂いじゃないか。咲くまで待ってもいいと思うよ」
スネイプは、ジェームズと同じ価値観を持っていないことに心から満足する。これがいい匂いだと?
少し機嫌が良くなったのでスネイプは説明してやった。
「薬に必要なんだ。咲く直前のつぼみには香りになる成分が多量に含まれていて・・・それが他にはない効果をもたらすから」
へぇと言いながらジェームズはまだ納得していないようすだった。なおも言い募る。
「でも、かわいそうじゃない?咲くこともなく終わっちゃうなんて」
「知るか。そんな感傷に囚われていたら何もできない」
言い放ってつぼみの茎に鋏をあてる。杖はローブのポケットに挿して空いた手で茎を支えた。
やわらかな棘は何の抵抗もせず、たやすく切ることができた。ジェームズの嘆息を無視して切り口の処理をし、注意深く容器に収める。
やっと手に入った。晴れ晴れとした気分で植物の肌を撫でると、指に鋭い痛みが走った。
「・・・痛」
「なに?大丈夫?」
反射的な声にジェームズは大袈裟に反応して杖で灯りをともした。
「・・・なんでもない」
当然のように寄り添うジェームズに煩わしさを感じながら傷を眺める。右手の中指で棘をひっかいたのか、ぷっくりと赤い血がたまっていた。
「ああ、血が出てる」
判りきったことをわざわざ言うなとおもった。どうせこいつは「つぼみの復讐だよ」とかそんなくだらないことを言うに違いない。
「たいした傷じゃない」
実際そうとしか思えなかったので手を引っ込めようとしたらその手首をつかまれた。嫌悪感もあらわにジェームズを睨みつけるが、彼は一心に傷口を見ていた。
「なにを・・・」
する、と言い終わる前にジェームズはためらいもなくスネイプの指先を口に含んだ。血を吸われる感触がする。鳥肌が立った。
「貴様!」
指を引き抜いて左手で杖を取り出す。眉間にぴたりと合わせればジェームズは戸惑ったように両手を挙げた。
「待ってよ。・・・ごめん、つい」
「ついだと?」
スネイプは眉を吊り上げる。濡れた中指が冷えてきて気持ち悪い。
「けだものめ、」
吐き捨てると彼はうすく苦笑したようだった。
「うん、なんだか、・・・君といるとけだものみたいになるんだ。止まらなくて」
暗にお前のせいだといわれているようで不愉快だった。そのまま口に出す。
「僕のせいだと言いたいのか」
「違うよ。分かんないかなあ」
「分かるものか」
分かりたくもない。甘い香りが鼻につく。この空間にはもう一秒たりとも居たくなかった。
「おい、ここにいたことは先生方には黙っていてやる。出るときにはちゃんと鍵をかけておけ」
公式にはこの時間に温室に入ったのはスネイプだけなのだから、戸締りがされていなかったらスネイプの責任になるのだ。しかもこの男のせいで。
言い捨てるとスネイプは踵を返した。ようやくつぼみが手に入ったというのに、この不快さは何なのだ。忌々しい男だ。
「スネイプ、・・・」
呼ぶ声に耳は貸さない。古ぼけた温室の扉を開けると東の空はうっすらと赤かった。


一人残されたジェームズは赤い花に顔を寄せた。甘い香りがする。近頃のスネイプと同じ匂い。胸が締め付けられるような。
この気持ちが何なのだと訊かれても答えたくなかった。安易に名前をつけてありきたりなものにしたくはない。
ガラス窓の向こうの空はうすく明るい。目覚めた友人たちにベッドの不在を咎められるのも面倒なので早く戻らなければいけないが、もう少しこの香りに包まれていたかった。