(サラバ青春)



酔っているのかと愚かな質問をしたら、案の定彼は酔っていないと答えた。当たり前だ。酔っ払いはみなそう言うのだ。そもそも飲酒は禁止されている、と言おうと思ったがやめた。規則など気に留めるような男ではないことは判っている。
「そんな仏頂面をするものではないぞ」
「誰のせいだと思って・・・」
ミッターマイヤーが仁王立ちでじろりと睨むと酔っ払いは愉快そうに笑った。その彼は開け放した窓の桟に腰掛けている。
消灯時間を過ぎて帰ってきた放蕩者は部屋の前に枝を伸ばす大木に登り、室内のミッターマイヤーに窓を開けさせたのだった。枝から窓に乗り移るときの、飲酒後にふさわしく頼りない身のこなしは蜂蜜色の髪のルームメイトの肝を冷やさせた。
短くはない同居期間の中でこんなことは初めてだった。ロイエンタールが外に遊びに行くときはたいていミッターマイヤーを誘ったし、これほどまで飲むということはなかった。
誰かほかの人間と行ったのか。しかも思わず酒を過ごしてしまうような打ち解けた間柄の相手と。
彼に他の友人がいるのは当たり前のことで、自分にももちろんいるし、今日は単にその人間と遊びたい気分だったのだろうとは判るが、誘ってくれたらよかったのにと少し寂しい気持ちになった。子供じみた感情だ。
「そう怒るな」
黙ったミッターマイヤーに士官学校一の美男子は言って、長い足を床につけて立ち上がる。魅惑の笑みを浮かべて恭しく手を差し出した。
「お手をどうぞ、フロイライン」
「酔っ払いめ!」
もちろん応じるわけもないが、ロイエンタールは構わずミッターマイヤーの手をとる。
「わっ」
酒のせいで多少ふらつくものの優雅なステップを踏む彼はやはり貴族だった。ミッターマイヤーはへっぴり腰で同じように足を動かす。
足元に全神経を集中させていたというのに結局足がもつれた。ちょうどベッドのそばであったのを幸い、ロイエンタールはミッターマイヤーを捕まえたまま倒れこんだ。
「おい、ロイエンタール!」
放せという抗議は聞き入れられず酔っ払いは気分が良さそうに笑っている。笑い上戸だとは知らなかった。
あるいは女か、とがっちりとこの身を拘束する腕を考慮して思い至った。さっきまでの同伴者と間違えているのか。
なるほど女と会うのでは友を連れて行くことはできまい。ミッターマイヤーは納得して、しかし物足りなく思う。ロイエンタールは女の存在など一度も言わなかった。自分はその程度だったのだ。友人として一番彼に近しい存在だと思っていたのはまったくの自惚れだった。
見上げれば(忌々しくも身長差は頭一つ分は優にある)金銀妖瞳の色男は今にも眠りそうにしている。ついさっきまで笑っていたのに、酔っ払いという生命体は実に自由気ままだ。しかしミッターマイヤーを抱きしめる腕に緩む気配はない。
「おれは女ではないぞ」
ぼやいて、しかし女性ではないのだから男と同じベッドで寝ても問題はないだろうと判断する。もう消灯時間は過ぎているのだ。いつもならとうに寝ている。
欲を言えば開けたままの窓は閉めたかったが、この季節なら風邪は引くまい。こんなに近くに熱源もあることだし。
安らかな寝息を立て始めた友人に釣られてミッターマイヤーもそのまま眠りに就いた。


肌寒さと喉の渇きに目を覚ますと想い人が同じベッドで寝ていた。
記憶はないこともない。ただし夢の中の出来事のようにおぼろげではある。
やけになって飲みすぎて寮に戻り、消灯時間の存在を思い出せる程度には頭は働いていたのでこっそり部屋に戻った。今思い返すとたいした冒険だった。それ以外にないとはいえよくあんな枝を渡ろうと思えたものだ。
腕の中に抱き込んだ彼の体を思い出す。仮にも軍人だから女のように華奢とはいえない、ロイエンタール自身もそれは望んでいないが、適度に筋肉のついたしなやかな体だった。柔らかな短髪からは本当に蜂蜜のにおいがしても不思議ではないように思われた。愚かなものだなと自嘲する。
そもそも今日こんなに飲んでしまったのもこの気持ちの不毛さに嫌気がさしたからだった。もうすぐ卒業だというのに、これほど近くにいられる幸運はこの先ないかもしれないのに、どうにもならない。ミッターマイヤーにはエヴァンゼリンがいるし、下手に動いて今まで築きあげてきた関係を壊すつもりは毛頭なかった。
ミッターマイヤーが寝返りを打って小作りな顔がこちらを向いた。薄いくちびるが少し開いていたのでロイエンタールは大いに迷った。―――これは僥倖ではないか。彼が気づきさえしなければ。
なめらかな頬に手を伸ばしてもミッターマイヤーは無防備に眠り続けている。高鳴る胸を意識的に無視して顔を寄せる。睫毛が金色なのにすら興奮した。しかし月明かりの下でさえ健康的に輝く彼の寝顔に自分がひどく薄汚いことをしているような気持ちに襲われた――何をいまさら、とむしろふんぎりがついた。
かつてどの女に対してもしなかったくらいていねいに唇を合わせる。ふれあったそのやわらかさに眩暈がした。すきまから舌を入れようとしたら「んん・・・」とミッターマイヤーが眉をひそめる気配がしたのであわてて顔を離す。
彼は相変わらず健やかに寝息を立てている。ロイエンタールは胸をなでおろし、そんな自分を滑稽に感じて口をゆがめた。
風が吹き込む。見れば窓が開け放してあった。たしかに閉める余裕はなかったろうなと数時間前をちらりと思った。とはいえ風邪をひかせては申し訳ない。
ベッドを出るのは名残惜しいが、このまま一つ寝をして何もしないでいられる自信はなかったので、上体を起こした。減ったぬくもりを求めてもぞもぞ動くミッターマイヤーの頭をくしゃりとなでる。
窓を閉めるついでに外を見ると満月だった。