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「どうして子供ができないんだろう」
ミッターマイヤーがぽつりと言った。
今日はやけに静かに飲んでいると思ったら、そのことを考えていたのか、とロイエンタールは複雑な気持ちになる。
正直、彼には子供を持たないで欲しい。しかし彼らが子供を望んでいる以上、友人としてはそれを口に出すことはできなかった。
「おれには人の親になる資格がないということだろうか、・・・それはわかっているが、でもエヴァは、」
「ミッターマイヤー」
彼の言葉は独り言めいていて、実際返事は求めていないのだろうがロイエンタールは独白をさえぎる。
「なにがあった?」
「なにも」
と言って窓の外に目をやる様子からは、とても何もなかったとは思えなかった。いつもははつらつと輝く瞳はただのガラス球のように燭台の明かりを映した。
「何もないわけがあるか。俺にくらい言え」
「・・・」
ミッターマイヤーは黙ったまま中身の少なくなったグラスのふちに歯を当てた。相当飲んでいるはずなのにその顔色はつねになく白い。
ロイエンタールはわざとらしく嘆息して自分のグラスに酒を注いだ。彼がこれほどまで落ち込んでいるのなら無理に聞き出すのはよくないから、自発的に話し出すのを待とうと理性はいい、そんなに重大な事由なら――特に彼に関することならば何としてでも知りたい、それが許される程度の関係は築いてきたではないか?と感情は胸を騒がせた。
瓶を机に置こうとするとミッターマイヤーが当然のようにグラスを突き出す。注いでやると礼も言わずに一気に飲み干した。同じことをほかの人間、たとえばビッテンフェルトあたりがやったらロイエンタールは迷わず懐のブラスターを抜くところだが、ミッターマイヤーならば許せる。むしろ甘えられていると思えていい気分だった。
「今日子供を殺した。銃を持っていた」
ミッターマイヤーが努めて素っ気なく言った。体内に入れた酒が潤滑剤になったようだった。
「馬鹿な貴族の差し金だ。使用人の子供にあれこそが親の仇と言い含めて、」
父親はリップシュタット戦役で戦死したそうだ、とミッターマイヤーは続けた。
「ならばたしかにおれは親の仇だ。おれが撃てと言った砲撃であの子供の父親は殺されたのだ。勝つためとはいえ多くの兵士の命をおれはあまりにも無造作に奪っている、敵も味方も、彼らの子供にはおれを憎む権利がある」
ロイエンタールは黙って聞いていた。今この親友が求めているのは同意や反論や慰めではない。
「憎まれるのはいい、おれが行ってきたことを思えば当然の結果だ。ただおれはその憎しみを晴らしてやることができないんだ。おれは死ぬわけにはいかない。あんなにも人を殺しておいて身勝手な言い草だが、おれにはエヴァがいる。・・・だが同じことが彼らにも言えるじゃないか。親がいて妻がいて子供がいる。大切な人間のためにも死ぬわけにはいかなかったのは、おれの号令で殺された彼らだって一緒なんだ」
ミッターマイヤーは息をついた。
「わかっているが時々たまらなくなる。その上あんな子供を殺したとあっては」
「どういう状況だったんだ」
「車から降りたところを狙われた。飛び出してきて銃を構えたところを撃った。とっさのことで弾がずれて即死ではなかった。かわいそうなことをした。まだあどけない少年だった」
いくつぐらいかはわからない、おれには子供がいないから、と彼は自嘲気味に笑った。
「こんな人間に子供が授かるはずもない。あんなに小さな体に対してでも殺気を感じればためらいなく引き金を引ける」
「軍人ならば当然だ」
「そうだ。それを当然とするような業深い夫であることがエヴァに申し訳ない」
そう言って家で夫の帰りを待つ妻のことを思ったのか遠い目をした。
「うちに帰りたくない」
幼子のような口調だが声は沈んでいた。
「ならば今日は泊まっていくか」
ロイエンタールの提案にうなずく。そして気持ちを吐き出して落ち着いたのか、少し照れたように笑った。
「すまない。今日はぐちぐちと・・・おまけに泊めてもらうとは」
「構わんよ。・・・しかしまあ、卿がどうしてもと言うならオーディンのあの名酒をふるまってもらうのもやぶさかではない」
「・・・検討しておこう」
秘蔵の酒を要求されて言葉に詰まったミッターマイヤーを見てロイエンタールは笑う。そのまま会話は他愛無い和やかなものに移行していった。


ロイエンタールの目を覚まさせたのは隣に眠る親友の呻き声だった。
あれから杯を重ねて、用意した酒が尽きる頃にはミッターマイヤーの足取りはずいぶん怪しかった。客間まで辿り着けそうにもなかったので主寝室の寝台を二人で使うことにしたのだ。幸いキングサイズだから男二人が使用するのに十分な余裕はある。
既視感だ、とロイエンタールは思った。卒業間近の士官学校。あの時とは酔いつぶれた人間が逆だけれども。当時とは比べ物にならないほどの広さの寝台と、なにより培ってきた自制心で何も起こさない自信はあった。
「ミッターマイヤー」
体を起こして枕もとの明かりをつける。うなされている彼の肩を揺するとミッターマイヤーはうっすら目を開けた。よく見れば額には汗が浮かんでいる。
エヴァ、とかすれた声で妻を呼ぶ親友にため息をつきたくなった。
「残念だが愛しの奥方ではない。目を覚ませ」
「・・・ロイエンタール?」
「そうだ。帝国一の色男が同じベッドにいるというのに、何だ卿は。他の女の名など呼んで」
ロイエンタールの軽口にミッターマイヤーは力なく笑った。大きく息を吐く。
「夢か・・・」
その呟きが安堵に満ちていたので、ロイエンタールは横たわったままの彼の額に手を載せて優しくなでた。
「どんな夢だった」
「おれたちの子供が元気に育っていた。父親が昔戦場以外で子供を殺したことを知っておれに銃を向けた。いつのまにかあの少年と重なって、おれはおれの子供を同じように殺した。エヴァは泣いた」
「夢だ」
「ああ」
肯定しながらもミッターマイヤーの顔は晴れない。まばたきをすると涙が一筋こめかみを伝わっていった。
「エヴァが泣くんだ。柳みたいにしなやかで強い女なのに。あの泣き顔が頭から離れない」
夢なのに、と話す彼の妻への愛情が強く伝わってきてロイエンタールは相槌をうつのも苦痛だった。いつもはなんでもないのに。
起き抜けの彼の言葉は赤裸々で心の底からのものだから、そんな深くにしっかりと根付く彼女の存在を思い知らされて余計辛いのかもしれない。
「怖かった。あんなふうに泣くのははじめて見た」
――ウォルフどうして。なんてことを。
血まみれの息子を抱いて、強い非難と悲しみの目で夫を見つめる。涙はとめどなくあふれている。
夢の残滓を振り払うようにミッターマイヤーは上体を起こした。指先から血の気が引いてすっかり冷たくなっているのに気づく。両手を握りあわせて暖めようとしても、どちらも冷たいのだから意味がないのだった。
ロイエンタールはその両手に自分の手を伸ばした。冷たさにロイエンタールが驚くのと、ぬくもりにミッターマイヤーが安心したのは同時だった。
人はこんなにあたたかい肌をしている、ということを再発見した気持ちだった。自分はもうひとり知っている。ただそのもう一人のことを思うと今はとても悲しいのだ。
ミッターマイヤーは親友に顔を寄せた。
どうかしている、とはこの時は思わなかった。警鐘はひどく遠くに聞こえた。
「忘れさせてくれ」
長い付き合いの中でも一番近くで見た金銀妖瞳に驚きの色があるのを、むしろ楽しく感じた。


自分がエヴァンゼリン以外の人間とこんな風に朝を迎えるとはミッターマイヤーは想像したこともなかった。しかも男と。しかも親友。
記憶があいまいなのは酒のせいなのか行為(!)のせいなのかはわからない。妻に関して何かあったことはなんとなく覚えているのだが、二日酔いのひどい頭ではそれを思い出すことは不可能だった。
・・・夢ではないか。
記憶があいまいなのは夢だったからかもしれない。昨夜はずいぶん飲んでしまったから夢と現実を混同しているのかも。とすると今度はなぜそんな夢を見たのかとなるのだが。
しかし身体に残る痕跡を見れば夢か現実かという問題はきれいに霧散するのだった。
すなわち、現実。
そもそも隣に眠る半裸の男を見れば現実に決まっているのだ。彼の肌に残る跡をなんと言うか、さすがのミッターマイヤーも知っている。既婚者なのだから。そしてきれいに色が残るのを面白がってそこらじゅうにつけた記憶もなくはない、というかあるのだった。
ロイエンタールが目を覚まさないうちに身支度を整えようと思って寝台から慎重に降りる。下半身のだるさに顔をしかめた。おれが下か、とくだらないことを思って生々しさにショックを受けた。始末をしておいてくれたようで身体はきれいなのがせめてもの救いだ。
脱ぎ散らかしてある服を身に付けながら、ああ皺になってしまうと軽く現実逃避をした。皺くらいなんだというのだ、もっと大変なことがあるだろう!と二日酔いのせいだけでなく頭痛がする。
ふと笑った気配がしたので恐る恐る寝台のほうを見る。シーツの海に身を任せながら、帝国一の色男が頬杖をついてこちらを見ていた。
「おはよう」
「・・・・・おはよう」
言うことはそれだけか?とは自分と相手どちらに対して思ったことなのか。
複雑な顔をしたミッターマイヤーにロイエンタールはにやりと笑っていった。
「いい夜だったな」
「・・・!」
ミッターマイヤーは赤面した。そういう言葉を求めていたわけではない。ならばどんな言葉ならよかったのか、と自問したがやめた。不毛だ。
「昨夜は・・・」
と言いさして、なんと言えばいいのかわからないことに気づいた。
「・・・その、迷惑をかけた。たぶん」
「覚えてないのか」
うなずくと、彼はなんともいえない顔をした。疑問に思ったが、
「なに、迷惑と言うほどでもない。しかし残念だな、せっかくの夜を覚えていないとは。もったいないことをしたぞ、卿は」
とロイエンタールが流し目の無駄遣いをしはじめたのでどうでもよくなった。
「ふざけているならおれは帰るぞ!」
上着を手にして叫ぶが、このまま帰ったら気まずさが持続することは容易に想像できるので本気ではない。ロイエンタールも心得ていてミッターマイヤーを寝台に招きよせた。
「まあ落ち着け。昨夜のあれは事故だ。卿も疲れていたんだろう、人間誰しもそういうことはある」
ロイエンタールにとっては事故というにはあまりにもすばらしい出来事だったが、口には出さない。
「俺達の関係はそんな事故の一つや二つで崩れ去るようなもろいものだっただろうか。違うだろう。だいたい生娘でなし、そこまで気にすることもない」
「そうか」
ミッターマイヤーの声は明らかにほっとした様子だった。
「卿はおれにとって一番の友人だ。大切な卿をこんなことで失ってしまうのかと思って不安だったんだ」
ロイエンタールは喜ぶべきか悲しむべきか少し迷った。彼の中でロイエンタールは完全に友人なのだ。とはいえ彼の私生活の中心は細君なので、彼女と張り合うのは無謀というものか。
「では、エヴァが心配しているだろうから失礼するよ」
「ああ、送らせる」
ロイエンタールが執事を呼ぼうとするのをミッターマイヤーは固辞した。もとより勝手知ったる他人の家(といってもやけに広いが)であるし、何より気恥ずかしいと言うのである。朝まで飲み明かすのは今までもあったではないか、同じことだといったら、気分の問題だと返された。
仕方がないのでロイエンタールも服を着て玄関まで行った。昨夜来た時とは打って変わって朗らかな表情で去っていった友人を見送りながら、自分の役目を考える。
彼は昨日の辛い出来事を、夢も含めて忘れているようだった。
あの行為が直接の原因なのか、忘れたいと思う意識の補助になっただけなのか。どちらでも構わないが、成り行きとはいえ行為の相手に選ばれたことがロイエンタールは嬉しかった。身体の快楽ということではなく、頼りにされていると思う。
ミッターマイヤーは昨日のことをほとんど忘れている。それでいい。悪夢は自分が引き受ければいいのだ。彼の顔が曇らないように、ただそれだけが望みだった。