冷たくない



今日は顔を見ないなと思ったら熱を出して寝ている、とレッケンドルフあたりが言っていたので、ミッターマイヤーはロイエンタール邸へ見舞に行くことにした。
というのもあの僚友が寝込むような事態になった原因に思い当たることがなくもないからであって、とはいえ自業自得だとも思うのだけど、なけなしの良心が少なからず痛むのだった。
から手で訪れるのを気にするような間柄ではもはやないが、一応相手は病人であるし、と無難に花束を持っていくことにした。エヴァに連絡を入れるとでは庭の花が今見頃ですからと言った。花の名も教えてくれたが覚えきれなかった。多分あれだろうと自宅の庭を思い浮かべる。


仕事が終わってから一度家に寄って作っておいてくれた花束を受け取った。予想通りピンクや黄色のかわいい花だ。
「きれいでしょう?」
とエヴァがほほえむ、その顔のほうがよほどきれいだと思う。


取次ぎに出た召使に花を渡して案内も乞わずに寝室に向かった。勝手知ったる他人の家だ。
「ロイエンタール?」
重厚な扉をノックしても返事がないので、静かに部屋に入る。はたして家主はほの赤い顔をして寝台で眠っていた。
起こしては気の毒なので、音を立てぬよう椅子を引き寄せて枕元に座った。彼の寝顔を見る機会はめったにない。時おり冷たく光る金銀妖瞳は白皙の瞼の奥に蔵せられてもともと美しく整った顔立ちがさらに引き立った。あるいは、その顔は美しく整っているだけだった。
生きた人間だろうか、と不謹慎な感想を抱いたが皮膚の下の血管は常時より働いている。呼吸につられて顔の筋肉が動くこともあった。生きているんだなあと思った。安心してその額を右手でなでた。少し汗をかいている。熱は引き始めているようだった。
ついでに汗で張り付いた黒髪をなでつけているとロイエンタールが目を開けた。
「起きたか」
「・・・夢か?ミッターマイヤーが見える」
そのまま再び目を閉じようとするのでミッターマイヤーは笑った。
「夢ではないぞ。卿が熱を出したと聞いて見舞に馳せ参じたのだ」
「大儀であった」
時代めいたことを眠たげに言うのでこのまま寝かせてやろうかと思う。一応顔を見て言葉も交わしたから訪問の用事は果たしたのだった。
控えめなノックが聞こえたので主人の代わりにどうぞと言った。慇懃な物腰で召使が花瓶に入った花束を持ってきていた。
「けっこうなお品をいただきまして」
「いえ。ロイエンタールには花より酒を持ってこいと言われそうですが」
「ミッターマイヤー様がお持ちいただいたものなら何でもお喜びになりましょう」
にこりとして彼は窓辺に花瓶を置いた。
「・・・余計なことを言うな」
主の不機嫌な声にも動じず失礼いたしましたと頭を下げた。ちょうどいいのでこの機にミッターマイヤーも辞去することにする。
「もう帰るのか?」
立ち上がったミッターマイヤーを見てつまらなさそうに言うので心は動いたが、頷く。窓のすき間から春の空気が水分を含んで甘く匂った。
「雨が降るぞ」
だから早く帰れと言おうとしているわけではないのが分かるのがおかしかった。
「降らぬさ」
「降られたら風邪をひく」
「卿ではあるまいし」
むうと黙る。この男を言い負かせるのはめったにないことだ。やはり体調が悪いのだと実感した。
「卿が無情にも雨の中放り出すから・・・」
「自業自得だ」
にべもなく言い放つ。
先日家に遊びに来た時、隣の部屋にはエヴァもいたというのに、不埒な真似をしかけてくるので頭にきてロイエンタールを締め出した。さあさあと雨が降っていた。頭も冷えるだろうと思ってのことだったが冷えすぎたらしい。
「おれはもう帰る。卿はおとなしく寝ていろ。早く治せよ」
召使は車を呼びに行ったのか部屋から姿を消していた。
「卿は優しいな」
「そうか?」
「そうとも」
ロイエンタールはふふんと笑った。
「優しいついでに言いたいことがある。耳を貸せ」
と言って寝ころんだまま手招きをするので、そんなに近付ける必要もあるまいと思いながら言うとおりにする。屈みこんで彼の顔の上に影が落ちるのを他人事のように見ていた。それよりもロイエンタールがあまりににやにやしているのでこれは、と思ったが一歩遅かったのだった。
病人の腕が素早く首にまわされて引き寄せられる。抗議する間もなく、倒れこんだ勢いも利用されて唇を奪われた。触れあった粘膜がいつもより熱いので熱があるという事実は認めざるを得ないが、それにしてはミッターマイヤーを拘束する腕の強さは弱まるわけでもなかった。
理不尽だ!と思ったが相手が病人であることを考慮するとやはり思いきったことはできないのだった。
「卿は優しいな」
その逡巡を見抜いたのか、名残惜しげに唇をぺろりとなめてから不埒者は言った。
「ほんとにな」
今度は心から実感したので否定はしない。不本意に倒された寝台から起き上がって身支度を整え直しているとロイエンタールも身を起こした。
「おい、寝ていろよ」
思わず咎めるがこの男はそんなことは気にしないのだ。
「卿のおかげで元気百倍だ。卿が寝込んだら俺がそちらに見舞に行ってやろう」
「・・・結構だ」
見舞のついでに何をされるかわかったものではない。ミッターマイヤーは風邪をうつされないうちにこの屋敷を去ることを決めた。
「次に来るときは酒を持って来い。花はいらぬ」
「では早く治せ」
ロイエンタールの笑顔もかわいくないこともない。


玄関にまわされた車に乗ろうとするとぽつりぽつりと雨が降り出したことに気付いた。
「降ってまいりましたねえ」
「そうですね」
とはいえ移動は車なのだからそう濡れはしない。
ロイエンタールが我が家に見舞に来る可能性は低いな、とミッターマイヤーは満足げに車に乗り込んだ。